【吉積 夏帆】ヒロシマ原爆投下から80年 終戦直後に襲った枕崎台風による二重の厄災

少し前になりますが、今年の8月6日で、広島に原爆が投下されてから80年が経ちました。
8月6日8時15分。私たち広島の人たちは、あの日に祈りを捧げ、核なき平和な世界を願う大事な時間です。私は、大阪に転居後も毎年この時間だけは全ての作業をやめ、黙祷をし、祈りを捧げます。

原爆が投下された事実は、広島や長崎の人だけでなく、多くの方がご存知だと思います。でも実は、終戦後まもなく、さらなる厄災が広島を襲っています。この事実を知っている方はかなり少ないのではないでしょうか。

昭和20年9月17日、終戦から間もない焼け野原と化した広島を襲ったのは、「昭和の三大台風」とも言われる枕崎台風。広島では最大瞬間風速45.3m/s、降り始めからの雨量は200mmを超えた所もあり、広島市内を流れる大きな川、太田川の堤防は決壊しました。
枕崎台風はその名の通り、鹿児島県の枕崎市に上陸した後、北東方向に進み、四国・近畿・北陸・東北を通過、その後三陸沖へ抜けました。

この台風による死者・行方不明者は3,756人。このうち広島県での死者・行方不明者数は上陸した九州よりも圧倒的に多く、2,000名を占めました。この背景には、被爆直後で入ってくる気象情報が極めて少なかったこと、防災体制も十分でなかったことが原因だったと考えられています。

ただ、そのような中でも実は1日も休むことなく、気象観測を続けた気象台員の方々が広島にはいました。当時、気象台があったのは爆心地から約3.7km離れた江波山。多くの気象台員が原爆投下により負傷を負い、明日の命もあるかどうかも分からない、家族や友人など大切な人の安否も分からない中で、1日も休むことなく、です。

昭和20年8月6日。あの日の記憶を繋いでいくことが、今の広島の大きな課題です。そしてあまり知られていない、原爆投下後に襲った枕崎台風による被害とその中で懸命に生きた、仕事を全うした人々がいた記憶も、同時に繋いで行かなければと、一広島県民、一気象予報士として思います。

戦災と天災に見舞われた中で戦った気象台員の方々の記録がノンフィクションで描かれている『空白の天気図』という本があります。ぜひ、この機会に手に取って、読んでみてください。原爆投下や枕崎台風による被災の事実を知ることができるだけでなく、明日をどう生きていこうかと考えさせられる内容になっています。

初めてのブログ執筆なのに、かなり重い内容にはなってしまいましたが、広島県民としてこの時期に書きたいこと、伝えたいことはこれしかないと思い、書かせていただきました。

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吉積 夏帆(よしづみ かほ)
前職は食品メーカーの営業職。
食べることが生きがいで、旅先も『食』目的で決めるほど。
最近は、ベランダでサニーレタスとバジルを育て始めました。